理系男子が牧師を目指すようになった訳

田尾 研二 TAO KENJI

上智大学理工学部卒(院卒)。メーカーで3年働いた後、27歳から牧会を務める。
趣味は、硬式テニス。

Q.信仰を持つようになった経緯・きっかけは?

私の父は科学者で、幼い頃から論理的思考や実証することの大切さについて学んで育ちました。
以前の私は信仰というもの自体に偏見があり、非科学的なものだと考えていました。
しかし、先生が教える御言葉は、聖書の関する疑問や謎を単に解き明かしているだけでなく科学的でもあり、論理的で矛盾がありませんでした。

また先生に学んだ御言葉とおり実践したときに、様々な霊的な体験をするようになったことで、私の考えは徐々に変化していきました。そして、聖書の御言葉が解き明かされるだけでなく、すべてその通りに成されていくことも体験したことで、神様の存在を認めて信仰を持つようになりました。
霊的な体験を脳が作り出す幻想・妄想だと考える意見もありますが、私が日々体験してきたものはそのようなものではありません。
神様は物質的な存在ではないので目には見えませんが、人や万物を通して働きかけてくださいます。
神様が人を通して語られる御言葉や預言が、必ず成就されるということを通しても、ご自身の存在を明らかにされています。神様は確かに存在し、私たちの近くにいらっしゃって日々働きかけてくださっているのです。

牧会をすると心を決めるまでには様々な出来事がありました。その中の1つを紹介します。
私は以前、韓国に2週間ほど滞在して先生の故郷の土地の開発作業をしたことがあります。
その期間、先生は毎日私たちと共に生活し、一緒に土木工事をされていました。
先生は、言葉だけではなく、先頭に立って自ら行う姿で神様とイエス様の姿を証していらっしゃいました。

その時に体験したことは、一言でいうなら、私にとって、まさに聖書の預言を体現する愛と平和の生活そのものでした。
先生の生活・生き方を見て、私も共に神様が約束された愛の歴史を成し遂げたいと思い、牧会をすることを決心しました。

Q.牧師になって、ご自身の考えや生活や人生に変化はありましたか?

牧師という使命を担うことで、それまでの自分の考えや生活に根本的な変化はありませんでした。
それは、私が摂理で先生の御言葉に出会い、神様を信じ、信仰を持つようになった学生の時から、牧師になることを目指していたからかもしれません。

私は若い頃からイエス様のように命を救う人生、先生のように命を救う人生を志してきました。
なので、昔から自分なりに牧師として生きるとはどういうことなのか沢山考えてきました。しかし、実際にその使命を担うようになって体験することは、それまで自分が想像していたことはかなり異なりました。それは、私的に生きることと公的に生きることの違いです。

牧師として教会を任せていただくようになったことで、命に対する責任が一層生じましたし、自分のすることが救いとつながっているのか、神様の御心なのかどうか、いつも神経を使うようになったと思います。

Q.あなたから見て、先生はどんな人ですか?

神様、イエス様の前で、いつも従順で、謙遜、どんな時でも、その御心通りにいきることに命をかけていらっしゃる姿をとても尊敬しています。
とにかく努力量がすごい方ですし、私が人生を生きる上での指針にしている方です。

自分が牧会をするようになって、改めて先生が本当にすごいと思うことがあります。
これまでも先生は、信徒たちを神様の愛で愛し、顧みていても、時に誤解され、裏切られて誹謗中傷までされることが幾度となくありました。
それでも自らが犠牲になり、いつも神様、イエス様に祈り、その信徒の救いを諦めない姿を続けて見せてくださいました。

私も以前、信頼していた人に裏切られる体験をしました。それはとても耐えられない苦しみであり、命を救うことを積極的にできないと思うこともありました。
しかし、絶えずイエス様、神様と対話されながら、その心と考えを受けて人々を愛し続けている先生の姿を見るたびに、私もそのようでありたいと考えを改め、たくさん祈るようにしています。

Q.信仰生活をしてきて良かったことは?
また、これからやりたいことを教えてください。

摂理で信仰を持つことで、神様と通じて生きるようになりました。悩むことや迷うことがあっても、信仰によって主に委ねて、祈りと御言葉で答えをもらうことで解決できるようになりました。

牧会をしながら命を救って生きることは苦労も多いですが、その分の甲斐を神様からも、人々からももらってこられたことを嬉しく思います。
これからも続けて命を救うことに従事していきたいです。もっと多くの方にこの御言葉を世界中に伝えられるようになりたいので、そのための実力を備えたいです。

あとは、死ぬまでに、この先1000年残るような証の書物を残すことも自分の1つの目標にしているので、それだけの体験や経験をしたいと思っています。

Q.最後に、一言お願いします!

社会は多様化し、様々な生き方が尊重される時代になりましたが、その分、多様な意見が社会に溢れています。人が生きるうえでは、いつも選択肢があり、自身でそれを判断し、行動することで人生の結果を生み出していきます。
だから自分の判断基準を持つことが大切ですなわけが、多くの意見がある中では、その基準を持ちづらくなっているのではないかと思います。

例えば、人生を生きるうえでの答えをAIに聞けば、簡単に答えを出してくれる、そんな日もすぐに到来するかもしれません。このような時代に、宗教に、しかも摂理という新興したての宗教の教えを学ぶことは、ただリスクでしかないと思われる方も多いかもしれません。

しかし摂理には、人生に明確な答えを出してくれる真理、人を神様と通じさせる真理があります。
ただ、ネット上には摂理に対しての偏見が散見されており、私たちのことを誤解されている方が多い現状です。
ぜひ、摂理に対して、2次、3次情報で判断されることなく、直接ご自身の目で見て、聞いて感じ、その教えに触れていただくことで判断していただきたいです。