皆が人生の目的を見つける手助けをしたい 塩野 みり SHIONO MIRI 1993年にキリスト教福音宣教会(摂理)に導かれる。2004年から2024年現在まで牧会。好きなものは花。趣味はウィンドーショッピング。 Q.信仰を持つようになった経緯・きっかけは? 大学1年生の時にキリスト教福音宣教会(摂理)に出会いました。当時、私は神様を信じてはいませんでしたが、聖書には興味があったので、御言葉を学ぶようになりました。御言葉を学んでいくうちに、「自分は御言葉を聞いているけど、もし神様がいらっしゃるならば、どうしても神様を感じてみたい」と思い、切実に祈りました。その結果、神様を確信する体験をするようになりました。 その経験を通して、神様の存在を確信するだけでなく、他の人に誇れるものは何も持ってないと思っていた自分自身を神様が深く愛してくださっていることを痛切に感じ、その神様の愛に応えたいという大きな感動を受けるようになりました。 Q.牧師になって、ご自身の考えや生活や人生に変化はありましたか? 変化はありました。牧師は神様が愛する命に触れる使命なので、自分のことだけを考えていたら使命が務まりません。そのため、自分の心の器が神様の愛で満たされていないと、周囲の人に神様の愛で接することができないので、祈りと御言葉で自分自身の心霊が常によいコンディションでいられることを心がけるようになりました。 自分が牧師という立場になって、改めて、先生がどんな人でも分け隔てなく接し、愛し、許し、覆い、信じてあげ、育てる姿を見る時に、本当に頭が下がる思いです。今、自分が先生のようにできているかというと、まだまだ到底追いつけないです。 そのように、私は神様が願われる真の指導者の姿を、先生を通して見るようになりました。牧師の働きをするようになってから約20年が経ちますが、先生が伝えてくださる神様の御言葉を人々に伝えるという、この貴い使命をいただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。 Q.あなたから見て、先生はどんな人ですか? 神様とイエス様だけを見ている方。「ひたすら神様」の方だと思います。 そして、神様の愛する命だからと、自分の損得を全く考えず、一人一人の命を愛する方です。信仰者として生きて行く中で、いくら神様中心にするといっても、自分の思いがわき上がってくることが私は多いですが、先生は自分の思いは全て置いておいて、神様のおっしゃることだけをされる方だと思います。 私が牧師としての働きをなす上でのモットーは「小事を成さざる者、大事を成さず」で、これは聖書にも「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。(ルカによる福音書16:10-13)」という聖句として書かれています。小事に忠実な人、まさに先生はこの聖句を体現されている方だと思います。私も先生のように、人からは見えない部分や一見地味なことこそ大切に考え、真摯に取り組んでいこうと心がけています。 Q.信仰生活をしてきて良かったことは?また、これからやりたいことを教えてください。 摂理に出会い、神様の御言葉を聞いたことで、ずっと幼い時から探しても、見つけられなかった、自分の生きる意味を見つけたことが一番よかったです。 私は大学時代に信仰を持つようになり、就職してからも神様が愛する人として誇れる自分であろうと仕事を頑張っていましたが、ある日、突然、母親が倒れました。医師からは原因不明の症例で決定的な治療方法がなく、いつ病気が治るのかも見通しが立たないと言われました。目の前が真っ暗になりましたが、その週に聞いた「病気にも神様の御心がある」という御言葉を思い出し、自分が何をすべきなのか、神様の御心を悟れるように祈り始めました。 お見舞いに通い、そこで医療の現場を目の当たりにする中で、「私は神様の御言葉を聞いて救われた。医師にはなれないけど、この御言葉を伝えて霊魂を救う人になりたい」という大きな感動を受け、今に至ります。母はその後、幸いにも徐々に回復し、杖をつきながらですが元気に日常生活を送るまでなりました。 昔の私のように、人生の目的や自分の生きる意味を求め、悩んでいる人たちは多いと思うので、これからは、より多くの人達がそれを見つけられるようなサポートや手助けをしていきたいと思っています。 Q.最後に、一言お願いします 摂理について、「摂理の人たちは良い人だけれど、先生は罪を犯している悪い人だ」と言われることがありますが、私達は先生の姿を見て、先生に直接学んで、自分を省みて直し、より良く変化していこうと絶えず行なっています。なので、実際に私たちの教会に来て、見ていただきたいですし、私達を通して摂理と先生を知っていただきたいです。