やりたいことより、大切なことを選ぶ生き方

増田 紀子 NORIKO MASUDA

学生時代に伝道されて、社会人を経験した後、牧会をスタート。
特技や好きなことは歌うことと料理。趣味はウインドーショッピングや散歩。地方の教会にいたときに自然を満喫する機会があり、神様がくださった自然万物はすごいなと感じ、自然の中に入っていく遊びの方が今は好きです。

Q.牧会をするようになった経緯を教えてください

私は大学生の時にCGMの教会に通い始めました。元々、会社で働きながら自分のキャリアを積んでいきたいと思っていたので、卒業後は企業に就職しました。仕事は大変でしたが、学びも多く、忙しいけれど充実した毎日を過ごしていました。

社会人生活も長くなり次のキャリアアップを考え始めた頃が、ちょうど個人的な信仰の節目となるタイミングだったので、これまでの人生を振り返ってみたんです。そして、幼かった私が一人の大人として成長できるように、家族はもちろん、たくさんの人や機会を通して神様と先生が助け育ててくださったんだと再認識して、ものすごく感謝しました。すると同時に「今まで自分がやりたいことに没頭してきたけど、この先もずっとそうやって自分のため生きていっても良いのかな……」という疑問が湧いてきたんです。さらに深く考え、自問自答を繰り返すうちに、「私はあまりにも受けたものが多いし、今まで自分の好きな人生は十分歩んできたから、これからは自分がやりたいことではなく、神様の願っていることをして生きていこう」という思いに至りました。

天の働きを生活の中心にしていくと心を決めたら、次は自分の状況を変えるため、より教会活動に時間を出しやすい働き方ができる会社に転職活動を始めました。教会に近い職場に就職が決まった直後、教会で使命をいただいたので、そこに注力していたら、しばらくして「牧会はどう?」とお話がありました。
正直、自分は牧会には向いてないと思っていたし、全く自信もなかったので、最初はお断りをしようと思ったんです。でも「自分の考えではなく神様の願っていることをしたい」と決心していたことを思い出し、「うまくできないかもしれないけど、まずはやってみよう」と始めてから、気づけばずっと牧会させていただいています。

Q.牧師として、また一人の人間として、先生はどういう存在ですか?

聖書の御言葉を教え、指導し、教会で神様の仕事をしていくには、もちろん技術や経験も必要ですが、実際に自分が牧会をしてみて感じるのは、結局どれだけ自分自身の思考や性格、人格が作られているかが決め手だということです。 例えば、人は誰でも相性や多少の得意不得意みたいなものがありますよね。しかし先生は多種多様な老若男女、どんな人だとしてもイエス様がされたように、受け入れ、理解してあげ、良くしてくださって、神様の中で一つになる世界を作られています。これは誰にでも出来ることではありません。どう考えても簡単ではないし、神様への絶対的な愛と人に対する深い愛、さらに心や人格が磨かれていなければ到底できないと思います。

何よりも先生ご自身が、厳しい環境で自分を磨き作ってこられたから、先生の一言はとても誠実で、真実なものとして私たちの心に響くんだと思います。私から見ても、いつも先生の言葉には嘘がなく、裏表がないと感じます。私自身、過去、今よりも自分が作られていなかったときは、人に対しても、自分の生活もうまく出来なかったことが多かったです。でも今は、過去の自分の失敗があったから、その経験を生かして今をより良くしていくことができるとも言えます。

摂理(CGM)は、神様の創造目的を成すという大きな目的を持った、年齢も国籍も異なる様々な人が集まる、世界でも他にないコミュニティーです。それを導かれるのは、言葉では言い表せないほど大変なことですし、実際になさっている先生は本当にすごいと思います。 普通、人は自分に大勢の人がついてくるようになると、何かしらの欲が出てくると思うんですが、先生には欲が一切ないんですよね。無理して我慢しているでもなく、名誉を欲しがるわけでもなく、ただひたすら神様を愛する、それ一つだけです。

また、先生は大変なことを率先して行われますが、人に命令するのではなく、むしろ一番難しそうなことこそ、ご自身で動かれます。自分の得意不得意関係なく、すべてを網羅して行われるのは、名誉や地位が欲しいとかではできないと思います。そして常に自分の分までもついてくる人たちに分け与えてます。
これらはすべて、自分がトップではなく、先生ご自身が誰よりも神様に仕えているからなんですが、そういうところも尊敬しています。自分が牧師をするようになって、より先生の人格の素晴らしさを実感するようになりました。

Q.摂理で生きてきて良かったこと、これからやりたいことを教えてください

この御言葉を聞いて生きていたら、日々大変なことは誰しもあるとしても、どうなるか分からないという大きな不安はなくなり、生きることに力と希望を与えていただけたと思っています。

特に2020年からの数年間、新型コロナ感染症で世界中が混乱していた時は、先生がいつも御言葉で指針をくださり、自ら気をつけなさいと話してくださったりと、常に具体的に現実的に私たちが注意を払うべきことを教えて導いてくださったので、いわゆる未知な不安というのがあまりなく、自分のすべきことがはっきりしていて、怖がらずに前に進むことが出来ました。その時、根本的な不安がないことは、本当に幸せなことだと実感しました。

私は小さい頃から世の中を良くすることや、社会に良い影響を与える人になることが自分の夢だと考えていました。今、教会で神様の働きをさせていただきながら、このようなかたちで人の役に立つことをできていることを思うと、本当に夢が叶っていると感じています。なので、これからは、もっとはっきりと神様の御心を成して差し上げることが目標です。そして、これは地上が本当の意味で平和になっていくことだと信じているので、そのために自分のやるべきことをやっていきたいですね。

Q.最後に、一言お願いします

どんなことでも客観的に見るだけでは分からなことがとても多いと思います。
例えば、食べず嫌いで終わることなく、とりあえずは食べてみる。それで少し人生が豊かになることもあるかと思います。詳しく、よく見てみたら分かることはたくさんあると思いますし、それは摂理に対しても、先生に対しても言えることではないでしょうか。

ぜひ一度、私たちの教会を訪れ、直接見て聞いて、触れてみていただきたいと思います。